赤星鉄馬 (あかぼしてつま)

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日本で初めてブラックバスを芦ノ湖に移植放流した人物。日本の内水面全ての将来を心から危惧し、ブラックバスの移植を決意した。

赤星鉄馬

赤星 鐡馬(あかぼし てつま、1883年(明治16年)1月11日 – 1951年(昭和26年)11月9日)は、日本の実業家である。大正銀行頭取。

人物

東京出身。海軍への物資調達で巨万の富を築いた赤星彌之助の息子(六男六女の長男)として生まれ、莫大な遺産を相続した[1][2]。東京中学卒業後渡米し、ロレンズヒルズ高校入学。ペンシルバニア大学卒業後、27歳で帰国し、大阪の開業医の娘と結婚。政府関係者に随行して、夫婦で世界一周の新婚旅行をした。父親の死去にともない、家業を継ぐ。
趣味は馬の研究と釣りとバラの栽培で、新橋の花柳界では粋人として知られた。
文部省(現文部科学省)管轄としては日本で初めての学術財団となる啓明会を設立し、当時の金額で100万円を奨学資金として投資した。
公害や乱獲、ダム建設などでバランス[要出典]の崩れた河川湖沼の再起のためにと、味がよく釣って面白い魚ということで、日本へブラックバスを移入させた。
関東大震災で倒壊するまで住んでいた麻布鳥居坂の邸宅の敷地には、現在は国際文化会館が建っている。
震災後は現在東京吉祥寺成蹊大学前にあるカトリック・ナミュール・ノートルダム修道女会のところに引越す。しばらくはアメリカから持ってきた住居を移築して住んでいた。アントニン・レイモンド設計の新居が1934年(昭和9年)完成。この住居は今でも健在で、外観は修道院の門から見ることができる。邸宅の敷地は3万坪あり、その一部は成蹊大学となっている。

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